INTERVIEW スタッフインタビュー

有住 昂大

才能がない自分は、
全力で人より多くの努力をするのみ

営業開発部一課 主任 有住 昂大KOUDAI ARISUMI

社会人経験を積みたいと考え、未経験の業界へ。

甲子園レギュラー出場まで果たした野球。
浅草を駆ける人力車の俥夫のアルバイト。
有住昂大が仕事に向き合う姿勢には、その2つの礎がある。
「13年続けた野球では、目標に向かってがむしゃらに努力する基本姿勢が身に付きました。人力車のアルバイトは1年間のみでしたが、その経験から、人の気持ちを考えて寄り添うことを大切にするようになりました」
有住は2023年、新卒で日本不動産販売に入社し、営業を担当。今、同社でもっとも業績を挙げている“スーパールーキー”だ。入社半年も経たないうちに、同社史上最速で主任への昇格も果たした。
好業績の理由の一つには、普通の営業職の何倍もの「行動量」がある。日々、物件情報を収集するために駆け回り、不動産会社を訪問。社会人経験・不動産業界経験がまだ浅いため、歓迎してもらえないこともあるが、そんなときにも「何がいけなかったのか」「どう対応すればよかったのか」を考え、再びトライする。そんなひたむきさが伝わり、取引先と関係を築いてきた。
有住の強みは「一生懸命」が「当たり前」であること。「努力しなくちゃいけない」「頑張らなくちゃいけない」ではなく、努力して当然の生き方が身に付いている。それは、「野球」によって培われたものだ。
山形で生まれ、小学校3年生から野球を始めた。中学時代は宮城で「宮城仙北ボーイズ」に所属し、高校は茨城の明秀学園日立高等学校へ進んだ。
ずっとピッチャーをしていたが、高校2年のときにイップスを発症し、これまでのように球を投げられなくなってしまった。山形から応援してくれている両親を思い、何とか続けたいと考え、内野手への転向を決めた。
「一か八かの挑戦でした。バッティングで少し非凡なところがあったようで、それを監督が見いだしてくれたんです。けれど守備はへたくそで……プレーの連携の仕方が分からないし、鈍感で周囲に目を配れない。人一倍練習しなければ追い付けず、すごく苦労しました。僕は、いわゆる『天才』タイプではありません。持って生まれた才能やセンスはなく不器用だと自覚しています。だからこそ、人よりもやらなければならないという気持ちが強かったんです」
内野手に転向したのは高校2年生の冬。チームのみんなが休んでいる間も猛練習し、3カ月後の春、レギュラーを獲得した。センバツ高校野球2018 にファーストで出場を果たし、ベスト16入り。「一生懸命やっていれば見ていてくれる人がいる」と実感した体験だった。
高校卒業後は日本体育大学の野球部へ。プロを目指すには実力不足であることを自覚していたため、社会人野球を目指したが、断念。3年生で引退した。
それでもここまで続けてこられたのは、シンプルに「野球が好きで、楽しかったから」だという。
「さまざまな人が一つの場所に集まり、切磋琢磨しながら勝利という目標へ一丸となって向かうことが好きでした。全力でやれることがあるのは楽しいです」

さまざまな人の想いに触れ、
それを背負う責任を感じた

野球から離れた有住は、次に全力を注げるものを探した。社会を知るため、いろいろな人に会いに行って話を聴いていると、その中に人力車の俥夫を経験した人がいた。「君に合うと思うからやってみたら」と勧められ、試しに行ってみると、面白そうだと感じた。これが人生で初めてのアルバイト。大学3年の冬から卒業まで、人力車の俥夫として浅草の街を駆けた。

有住 昂大

「野球をしていた頃はずっとしかめっ面でしたが、お客様に接するようになって、笑顔を心がけるようになりました。そして何より、人の気持ちを考えるようになったのが大きな変化です」
子どもからお年寄りまで、幅広い層のお客様に対応した。新婚の夫婦や結婚記念日の夫婦。子どもを授かったばかりの家族。「浅草で浴衣を着て人力車に乗る」ことを目標に、頑張ってアルバイトをしてお金を貯めたと話す女子高生もいた。人それぞれ、さまざまな想いを抱いて浅草を訪れ、人力車に乗り込んでくる。
「何カ月も前から計画を立てたりして、楽しみにしてきた想いを背負うんです。料金もけっして安くない。責任重大ですよね。自分にとっては何度も通っている道だけど、一つひとつの道をお客様にとって『特別な空間』にしたいと思いました」
自分も初めてその道を通るようなつもりで、お客様と一緒に楽しむことを大切にした。
観光を終えて人力車を降りたお客様からかけられる、「あなたで良かった」という言葉が何よりうれしかったという。
感謝されることの喜びを実感した有住は、就職活動に臨むにあたり、「人を喜ばせる」「人を幸せにする」ことを軸として業界・仕事を探した。そして、人が強い想いや夢を持ち、人生でもっとも大きな買い物である「住宅」「不動産」に興味を持った。人生に与えるインパクトが大きいだけに、責任も大きい仕事にチャレンジしてみたいと考え、日本不動産販売に入社した。
高齢化が進むなか、高齢者が自宅で暮らし続けることが難しくなったり、店をたたむことになったりして保有物件を売却するケースが増えている。
手放すことになったとはいえ、売主にとっては思い出が詰まった家やお店だ。日本不動産販売では、壊してしまうのではなく、なるべくリフォームやリノベーションを施し、これからも使われ続けるようにしたいという想いが強い。同社の代表自ら、自社の理念を「利益よりも喜んでもらうことが大事」と明言している。
「僕も社長の考え方に共感しているので、売主さんの想いに寄り添いながら一つひとつの物件を大切に取り扱っていきたいと思います。人力車のときと同じく、『担当があなたで良かった』と言っていただけるようになりたいですね」
営業としての有住のもう一つの強みがここにある。対面している相手の表情やしぐさ、口調などから、その気持ちを察することができるのだ。そこから相手が何を求めているのかを想像し、行動に移している。
現在、主任のポジションに就き、新人時代のように「がむしゃら」と「思いやり」だけでやっていけばいいわけではないことも自覚している。そこで、不動産物件・不動産取引に関する専門知識をさらに深め、お客様が理解・納得できるように説明する力、自身で物件を判断する力を磨いている。
「不動産のプロフェッショナルとしての経験値を高め、会社に貢献し、お客様に貢献し、誰からも必要とされる人になりたいと思います」


不動産業は誰かの人生に関わる仕事。
責任感を忘れず、常に学んでいきたい。

業務推進部 経理課 主任 辺見 梨穂Riho Henmi
辺見 梨穂

「不動産業は扱う金額が大きい分、責任も大きい。プレッシャーはあります」。インタビュー冒頭、仕事に対する感想を問われた辺見は静かにそう答えた。彼女の現在のポジションは業務推進部経理課主任。日本不動産販売でやり取りされる様々な清算業務、コスト関連を一手に引き受ける重要な業務を任されている。

「具体的には、買い取った物件の支払いや外注費などの振り込み、税理士や顧問弁護士とのやりとり、資料作成などが主な仕事。言ってしまえばバックオフィスですが、お金に関する業務は不動産の売買は人の人生がかかっているといっても過言ではないほど重要なもの。絶対にミスは許されません」。

辺見 梨穂

今でこそ重要なポジションを任される辺見だが、入社当初から経理のプロだった訳ではない。前職はまったく異業種のドッグトレーナー。転職活動をする中で“よりビジネスをしっかり学びたい”と日本不動産販売への入社を決めた。実は社長である村田は小学生時代に所属していたソフトボールクラブのコーチ。転職の相談をしている中で、「うちならビジネスの上流から下流まで余すところなく経験できる」と誘われ、思い切って未経験の業界に飛び込む決意を固めたという。「小学校時代のコーチのもとで大人になってから働くというのも不思議な感覚でしたが、社長の人柄もよく分かっているのでここなら成長できそうだな、と。今では優しくも厳しくビジネスのノウハウを教えていただいています」。

現在、辺見の下には部下が2人。ビジネスを教える立場にまで成長した。しかし辺見はあくまでも学ぶ姿勢を忘れない。「後輩であろうと上から目線で接することはありません。大切なのはいかにコミュニケーションが円滑にできるかということ。社長から教わった“気遣いができる人間であれ”というスタンスを、後輩にも肌で感じてもらえるようにまずは自分が率先して実践しています」。今の目標は、さらに自分にできる業務を増やして日本不動産販売を大きく成長させることだという。確かに彼女は熱血タイプ、という訳ではない。だがしかし、静かに語る彼女の目からは、チームの一員として自分の役割を果たすという確かな決意が伺えた。

辺見 梨穂

並木 かおり

秘書として大切なのは、
「会社を代表している」という自覚。

社長室 室長 並木 かおりKAORI NAMIKI

これまでの経験が活かせる場として、日本不動産販売へ。

新卒で入社した不動産会社で秘書業務、総務、経理、財務などを経験したあと、育児のために一時離職。育児が落ち着いたタイミングで、これまでの経験を生かしながらより自分らしく働ける職場を探しているとき、知人から日本不動産販売を紹介していただき、迷わず入社を決意しました。
決め手は仕事と育児を両立できるワークライフバランスが優れていることと、トップとの距離が近いのでよりダイレクトに事業に加われることがポイントでした。入社後は社長室の室長として、社長のサポートやバックヤード業務を担当しています。

どんな小さな仕事でも「社長の代理」であることを忘れない。

社長や営業スタッフが日々交流するお客様の情報管理や、押印書類の確認、金融機関とのやりとり、贈答品の手配、お礼状の送付、会食の準備など日々の業務は多岐に渡ります。
秘書業はいわゆる裏方業務ですが、社長の代理としての立場ですので、言い換えれば「会社の顔」を任されているともいえます。
たとえばお礼状を出す際、先方のお名前を間違ってしまっていたら……。会社の名義、社長の名前で出すものですから、社の信用を一気に失ってしまいかねません。どんな細かいことでも「自分が社長なんだ」というくらいの気持ちを持って取り組んでいます。

社長の意思を汲み取ることが、秘書の役割。

私のもうひとつの役割は、社長と営業スタッフのあいだに立ち、社内のコミュニケーションを円滑にすることだと思っています。
多忙な社長は直接営業スタッフに指示を出せるタイミングも限られているので、私が代わりに社長の意思を伝えることもあるのですが、その際ただ言葉を伝えるだけの伝言係になってしまっては私のいる価値はありません。「社長がなぜそういう指示を出したのか」「どんなことを見据えているのか」をしっかり汲み取り、正しくスタッフに共有することが私の役目だと考えています。

並木 かおり

社員全員がイキイキと働ける職場をつくりたい。

仕事のやりがいは社長や営業スタッフからの「並木さんのおかげで仕事がスムーズに進んだよ!」という一言。
営業の最前線に立つメンバーがイキイキと働いているのを見ると、私も嬉しくなりますね。
今はまだ子供が小さくリモートワークがメインで、仕事量も減らしてもらっているのですが、徐々に仕事時間も増やせるようになると思います。そのときは社長だけでなく、すべての営業スタッフをもっともっとサポートしたい。みんなが快適に、楽しく働ける環境を作って、日本不動産販売をより成長させていきたいと考えています。


那須 千春

自分の新たな可能性を信じて
まったく未経験の業界へ。

業務推進部 課長 那須 千春Chiharu Nasu

現在、日本不動産販売で業務推進部に所属する那須は、異例の経歴を持つ。実は彼女の前職はソフトボール選手。実業団に所属し、一時は日本代表として日の丸を背負ったこともある。東京オリンピック出場を目指すも惜しくもその夢は叶わなかった。引退後は介護職に就くも退職。地元である岩手に戻り、これからの人生をどうするか悩んでいたという。そんな時、高校時代のソフトボール部監督の知人である村田から声をかけられた。一度東京でやりきったという思いがあった彼女は、当初もう一度上京することに躊躇した。しかし、わざわざ岩手まで足を運んでくれた村田の熱意、そして「挫折を知っているからこそできることがある。もう一度チャレンジしてみないか」という言葉に心を動かされ、日本不動産販売への入社を決意した。

入社後、那須は業務推進部に所属し、主に営業開発部とタッグを組んで新規ビジネスの拡大を担当している。例えば不動産売買にはハウスクリーニングや残置物処理業務が付随してくる。それらをクライアントに提案し、契約を結んでくることが那須の仕事だ。「営業は様々な年齢の方と接する機会があるポジションです。初対面の人にどうすれば受け入れてもらえるのか、どんな話し方なら聞いてもらえるのか、試行錯誤の毎日です」。もともと人と話す際は緊張しがちだという那須。だが入社後はそんな自分は封印したという。「不安がっていたり暗かったりする人に仕事は頼みたくないですよね。まずは明るい印象を残せるように、声の出し方や表情まで徹底的に意識するようにしています」。

那須 千春
那須 千春

まだまだ入社して経験が浅い那須。できることが多い訳ではない。しかし彼女は常に前向きだ。その原動力は、クライアントそして社内メンバーからの感謝の言葉だという。「ありがとう、と言われることがこんなに嬉しいなんて、今の仕事を始めるまで忘れていました。日本不動産販売には、どんな小さなことでもしっかりと相手に感謝を伝える社風があります。まだまだ会社のために貢献できることは少ないですが、ひとつでも多くのありがとうをもらえるように、これからも日々勉強を続けたいと思います」。

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